To kill one's boredom...RO

「心にうつりゆくよしなしごと」について


「心にうつりゆくよしなしごと」について

<310>Italia Report(2005) 旅行記~6日目(6月5日)

さて、ミラノです。
観光して思ったのですが、ぶっちゃけ、街中を歩いていても魅力が感じられませんでした。
まだまだ歩き足りないのは否めませんが、第一印象として、好奇心が走らなかったのです。
そのため、今回のレポートは一部かなーり流しています。

で す が

今回も激サバイバルな出来事が待っていたのです。
まさか警察官にパスポートを提示して助けを求めることになるとは思いもしませんでした。
さすがに今回は猛烈に焦ったので、「帰国したらネタだ!」という意識が素で持てません。
この出来事はまだ誰にも話していない話なので、じっくりとお楽しみ下さい。


この日は、朝から他のメディアの方と共同で、某選手さんの同行取材を行いました。
もちろん、衣服はないので前夜に風呂場で洗濯した下着を着て、です。
10時にホテルのロビーへ行き、関係者と合流。
当然話題は「荷物出てきた?」です。
出てくるわけもなく、(´・ω・`)ショボーンとしていたら、通訳さんがフロントに問い合わせてくれたようで、早朝に届いていたとのこと。
欣喜雀躍龍のハレルヤ~ヽ(´ー`)ノ な気分で自室に戻り、下着を改めて替えてから、いざ取材へ。

今回は、前日に見損ねたドゥオーモ脇のガレリアへ同行取材です。

▲左から、ドゥオーモ側の入り口、内部全景、中央交差部の壁面レリーフ

1867年にイタリア統一を記念して造られた、ぶっちゃけ商店街のアーケードです。
第二次世界大戦で破壊されたものの、1955年に完全に復元されました。
鉄とガラスで架けられた屋根を持つアーケードは、南北に197m、東西に105mの通路からなり、これらの通路が十字形に交差しています。
交差部には八角形の広場があり、この上部に、直径38mのガラス張りの円蓋(クーポラ)が乗ってます。

この交差点付近の床にあるのが、雄牛のレリーフ。
しかも、猛々しいナニがついてます。

▲左からレリーフと、そこで回転して喜ぶナカノヒト

この雄牛のナニですが……
これを右足のかかとで踏んで、左足をつけずに一回転できると、またミラノに来れるというトレビの泉みたいな逸話があるのです。
そのためか、ナニの部分だけ微妙にヘコんでいます。
で、当然やらなきゃウソでしょ?
右手に業務用カメラを持ちつつ、果敢に一回転!
この段階でイタリアに戻ってくる気マンマンです。
しかし、この牛も可哀想やな……

ここから先は各メディア別行動となったため、私はホテルへ帰還。
すぐさま荷物を置いて軽装になると、自分の中では最大の目標である、St. Maria delle Grazie(サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会)へと急ぎます。
まさに旅のハイライトっ!最後の晩餐が俺を待ってるZeeeeee ( ゜∀゜)o彡゜


▲左から、St. Maria delle Grazieと最後の晩餐

この教会はドメニコ会の教会で、1463年から建築が開始されました。
最後の晩餐自体は、当時のサンタ・マリア・デル・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたもので、420×910cmの巨大な壁画です。
レオナルドは1495年に製作に取りかかり、1498年に完成させています。
その間、ちょっとした合間を見ては一筆・二筆加筆して、また他の仕事に行くと行った感じで筆を進めていったとのこと。レオナルドの売れっ子ぶりがわかるエピソードです。
また、3年というのは遅筆な彼にとっては、驚異的なスピードと言えるでしょう。

通常、この手の壁画や天井画には、フレスコ画の技法が用いられます。
フレスコ画は漆喰を塗って、乾ききる前に顔料を乗せることで、壁自体をその色にする技法です。
この技法で描いた絵画は壁や天井と一体化し、ほぼ永続的に保存されます。
ですが、漆喰と一体化するため使える色に限りがあり、また、漆喰を塗ってから乾ききるまでの数時間程度で絵を仕上げる必要があることから、ある意味大バクチな技法と言えるでしょう。
もちろん、重ね塗りや描き直しはできません。

ところがレオナルドは作業時間の制約を嫌い、同時に写実的に仕上げるため、完全に乾いた壁の上に、テンペラ画と油絵を組み合わせた技法で描いたのです。
どちらも時間的制約は無く、重ね塗り、書き直しも可能ですが、テンペラや油絵は、顔料を乾性油などで定着させる方法なので、温度や湿度の変化に弱いという弱点があります。
そのため、壁画には向いていないのです。

レオナルドは湿度などによる浸食を防ぐため、乾いた漆喰の上に卵白で薄い膜を作り、その上に絵を描きました。
しかしこの方法は見事に失敗し、食堂という湿度の高い環境から、激しい浸食と損傷を受ける結果となったのです。
レオナルドが生きていた1510年頃には、目に見えるほど顔料の剥離が進んでいたと言います。

ですが、この壁画は更なる受難を受けることになります。
16世紀から18世紀にかけて、数回の修復や剥離部分の書き足しなどが行なわれましたが、修復者のレベルにばらつきがあり、良い結果を生んでいません。
中には、剥離を進ませてしまったり、元々無かったものが書き足されたりもしたのです。
17世紀には絵の下部中央部分に出入り用の扉が設けられ、その部分は完全に失われてしまいました。
更に、17世紀末には食堂ではなく馬小屋として使用されており、動物の呼気や排泄物によるガスなどで、浸食は更に進みます。
しかもこの間、ミラノは2度も大洪水に見舞われており、壁画全体が水浸しとなったのです。

そして1943年8月、第二次世界大戦でアメリカ軍がミラノを空爆し、スカラ座を含むミラノ全体の約43%の建造物が全壊。
爆撃で瓦礫と化したサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会……
その中で、「最後の晩餐」の壁面だけが、無傷のままで屹立していた事実は、まさに奇跡としか言いようがないでしょう。
その後3年間、屋根の無い状態ながらも風雨にさらされないよう、また、壁が倒れないように土嚢を積まれてはいましたが、当然ながら激しい損傷は免れませんでした。

この残された壁を生かすべく、建築当時の設計図を元に建物が再生されました。
壁画も徹底的な復元作業によって、レオナルドが描き上げたかのような極彩を取り戻しています。
500年という時の重さを背負った「最後の晩餐」に会うことは、自分にとっては今回の最大の目的となりつつありました。

この最後の晩餐を見る場合、まず予約が必要です。
日本から国際電話でも予約ができるらしいですが、現地にいって直接予約することも可能です。
しかし、空きがないと入れません。
キャンセル待ちで行列ができているので入れると言う話を現地で聞いたのですが……

 No Cancel

の看板が…… _| ̄|○ll

それでもめげずに中の係員(これまたカワイイお姉さんでした(*´д`))に訊くと、完全予約制になったとのこと……
工エェェ(´д`)ェェエ工

どうやら、こいつのせいらしいです。。。(´・ω・`)ショボーン



ですが、ここで、実に自然に「また帰ってくるからいいや」と思ってしまったのです。
何かコレ、関西移住パターンと一緒だぞ……

ということで、次の目的地であるレオナルド・ダ・ビンチ科学技術博物館へと向かいました。
にしても、日本とは違って日曜はほとんどの店が開いていません。
実に暢気ですよね。
開いているのは一部のデパートと、おみやげ物やくらい。
ちょっとしたBarですら開いていません。
みなさんもイタリア観光の時は日曜祝祭日には注意しましょうね。


▲左から博物館の中庭外観、なぜか叫びながらの会話で話に花が咲いてしまった博物館学芸員の方(手を振っています)

修道院跡を利用したこの博物館、レオナルドダビンチの発明品から、自動車、宇宙、など、テーマ別に展示物が整理されています。
あぁ、最初の最後の晩餐は「見れたのかぁぁぁ」と期待させておくための仕掛けで、実はこの博物館で実物大の細密復元画を撮影したモノです。
期待させてゴメンね (ノ∀`)

で、中身はこんな感じ……


▲左からウィトルウィウス的人体図、展示室

さらに外に行くと



戦闘機ですよ!しかもFIAT製の!!!
FIATと言えば、



パンダ (*´ω`*)

が有名ですね。
あんなオシャレな車を作っている会社が、戦闘機ですからねぇ。
ちょっとビックリしました。

そして本日の昼食は、博物館内のBarで



相変わらずのイタリアンっぶりを発揮。
これでしめて8ユーロ。
ちなみに写真左はハムの上にパテ(魚類のすり身をパテ状にしたもの)を塗ったモノです。

博物館で学芸員さんと親交を深めた後は、ミラノで最も古い教会、St.Ambrogio(サンタンブロージュ教会)へ向かいましたが、なんとここで大粒の雨。雨宿りをしつつ歩いて、何とか到着しました。
この4世紀後半に建てられたミラノ最古の教会は、ミラノの守護聖人アンプロージュが祀ったもの。
内部には、見事な黄金の祭壇や天井画があり、祭壇の下には聖骸(聖人の遺骸)が収められています。


▲左から、St.Ambrogio外観と、中央廊

教会を出てから最寄りの地下鉄駅へ。
中を見ると、雨宿りしている人がたんさんいました。
傘なんて持って歩くのは、確かに面倒臭いですしね。ミラノでも傘を持っている人はほとんどみかけませんでした。


▲地下鉄駅内で雨が上がるのを待つ人々

以下、ミラノ市内をつれづれと~


▲ドゥオーモ脇の映画館。日本の「スチームボーイ」も上映されていて、中は人でごった返していました。
日本文化が受け入れられているシーンの1つですね。


▲世界に名だたるミラノ・スカラ座。様々なオペラの初演がここで行われました。
時間があったなら、中を見学したかったですね。


▲帰途に乗車した市電とその内部。
内装が実にクラシカルながらも、街並みに溶け込んでいる辺り、イタリアらしさを垣間見た気がします。

さて、お待ちかね。ハプニングのコーナーです。

ホテルへ戻った後、某テレビ局関係者と、一部選手と共に、食事に出ることになりました。
最初向かう予定だったレストランが満席とのことで、ミラノ市内のクラブへ行くことに。
到着後、入場チケットを買って中でワンドリンクを頂きます。
カンパリオレンジを頼むとカンパリとオレンジの比率が脅威の7対3でしたが、そこはご愛敬。
流行の曲がガンガン流れて、至る所で若い男女が踊り狂っています。
まぁ、日本と同じ光景ですね。

日本人が珍しいのか、何人かの女性に話しかけられましたが、正直この段階でかなり疲労困憊していたため、全て「Mi Scusi.(ミィ・スクイーズィ、ごめんなさいの意味)」でかわし続けました。
一部選手はウハウハになって女の子とと踊り狂っていましたが、そんなこんなしているウチに全員がバラバラになったので、私は先にホテルに戻ることに。
頭の中では何となく位置関係を覚えていたので、徒歩でテクテクと歩き出したのですが、ヘバってしまい、ギブアップ。
そこで、市電の路線図を確認の上乗車したのですが……

 完全に別路線でした _| ̄|○ll

乗り間違えたあげく、終点まで行ってしまったのです。
超軽装で来たため、持っているのは若干のユーロとパスポートのみ。
頼りの地図すらありません。
この段階で、冗談抜きの超焦りモードに突入しました。

下車してからすぐに、一緒に下車した若い女性(ここがミソ)に話しかけ、必死に拙い英語で現状を説明します。
とりあえずタクシーは乗れないか尋ねましたが、時間は深夜。
さらにイタリアのタクシーは流し運転をしません。タクシー乗り場から乗るしかないのです。
ですが、近くには、ホテルもタクシー乗り場もありません。
電車の運転手にも尋ねてくれましたが、打つ手ナシ。
完全に八方塞がりとなりました。

すると近くに警官がいたので、私を連れて行き、取り次いでくれました。
ですがこの警官、大阪府警以上に態度が悪い (;´Д`)
自販機ドロの現場検証をしていて、「そんなことしてる間はない」との雰囲気が、ビンビン伝わってきます。
そこでパスポートを出して道に迷ったことと、宿泊先が「国際展示会場」の近くにある事を説明しましたが、全く通じる気配なし。
地図を借りて指さしでホテルの位置を教えると……婦警さんが帰り方を教えてくれました。
手元には地図もなく、深夜の郊外だけに街中は無人。
カターニアでは感じられなかった身の危険感をひしひしと感じます。
ですが行くしかありません。
ほんま、ミラノの警官は死ぬまで恨んでやる!ヽ(`Д´)ノ

「マクマホン通り」を直進、という、自分にとっては実に覚えやすい通りの名前だったことも幸いし、何とか見たことがありそうな風景に近づいてきました。
ですが、見るからにカツアゲしてる黒人がいたりと、もうヤヴァさ200%!
ケバい化粧で下着にコートを羽織っただけの、いかにも「病気持ってます」といった感じの低級娼婦まで絡んできます。
100ユーロとか言って来ますが、そんなん、1000ユーロもらっても相手したくねぇよ。・゜・(ノД`)・゜・。

30分も歩いたところで、精神的に半死半生になったので、ホテルを捜索。
何とか見つけると、フロントに駆け込んでタクシーを呼んでもらいました。
更に、観光地図も頂いて、これで何とか生還……_| ̄|○ll
ホテルに着いた時には、2時を回っていました。

冗談抜きにして、地図が無いと何もできません。
油断して軽装で出てしまったのが、今回の敗因ですね。
しかも、大都市なだけに、一度郊外へ出てしまうと、もうアウトです。

この一件で、イタリア語をマスターしてやると心に誓ったのは、言うまでもありません。
次回は、日本への帰途編となります。同時に、読者プレゼントの発表も行います。
それではお楽しみに~

Posted by ナカノヒト : 2005年07月05日 19:00 | コメント (0)

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