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「心にうつりゆくよしなしごと」について


「心にうつりゆくよしなしごと」について

<520>Cinema&Book-映画と本 キーワードは「猫」と「自分自身」


最近、SFの古典作品「夏への扉」を読んだ。

主人公のダンが飼っているピートという牡猫は、夏場こそ自分専用の出入り口から出入りしていた。
ただ、地上に雪がつもっている冬場は、絶対に自分のドアを使おうとはしなかった。
ピートは、自分専用の出入り口、つまり自分に突きつけられた日常的現実から外に出ると、冷たく、辛い冬があることを知っていたのである。


そこで冬場はダンにせがみ、自宅にある、普段は使わない人間用の12のドアを片っ端から開けさせるが、どのドアを開けようとも、当然のごとく季節は冬。
だがピートは、どんなにこれを繰り返そうと『12のドアのどれかは夏に通じている』という固い確信の元、夏への扉を探すのを、決して諦めようとはしなかった。
主人公ダンも様々な苦難を味わったという点では、常に冬の家屋の中で『夏への扉』を探し続けていたことになるだろう。
結局はハッピーエンドで、皆『夏への扉』を見つけることになるのだが……

人は、何かを得るためには何かを失わなければならない。
ダンとピートも、様々な物を失った末、最後に『夏への扉』を見つけることができた。
自分は『夏への扉』を開けることができるのだろうか?
だが、自分にとっての『夏』をまだ見つけられないため、そもそもこの疑問は成立しない。

人が生きるということは、言葉にしたら簡単だ。
だが、知恵の実を食べてしまっただけに、非常に重い意味を背負うことになってしまったような気がしてならない。
果たして、その重い意味をどれだけ自分は理解しているのだろうか。
そして、『夏への扉』を見つけ、開けることができるのだろうか。
多分、あと10年が正念場だろう。
それまではピートとダンのように、目の前の扉を開け続けようと思う。

Posted by ナカノヒト : 2005年09月12日 03:12 | コメント (0)

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