文化的悔しさ
昨日から、久々に本当の「オフ」を味わってきました。
普段は仕事であったり、ROであったり、常時何らかの連絡事項が飛び込んだりして、落ち着く間がありませんでしたが、今回は携帯電話をオフにしてまで、自分の「オフ」を確保させて頂きました。
というわけで、今日は午後から映画「SAYURI」を見てきました。
この作品は「さゆり」という邦題で1997年に発表された「Memory of Geisha」という小説が原作となっています。
私は刊行直後に即読みしたのですが、数奇な物語性と日本文化の奥ゆかしさから、非常に興味を持ったものです。
そしてS・スピルバーグがこの作品の映画化権を獲得したときから、期待を抱いていました。
ただ、物語の壮大さと奥ゆかしさからそう簡単に映画化できないと思われていたのですが、2004年からようやくクランクイン。
そして待望の封切りと相成ったのです。
※以下、ネタバレはありませんのでご安心下さい。
見る前から予想はできたのですが、細部のパーツは時代考証からかなり外れています。
むしろメチャクチャです。
かなりあり得ません。
暴れん○将軍の方がマシかも知れません。
例えば、桜の季節に灯籠流しをしていたり、髪の髷だったり、京都花街独特の赤ちょうちんの全てに「はなまち」と書かれていたり……
ですが、The Last Emperor等でも見ることができる、我々東洋人には普通すぎて感じ得ない「青い瞳から見たNIPPONの美」が、画面所狭しと映し出されています。
朱、紅、橙、丹、茜といった、濃淡さまざまな日本の「赤」。
そして細かいパーツや仕草に大胆なズームを使い、印象的に強調する日本の「伝統」。
それらの美しさだけで、画面に引き込まれてしまいます。
これはもう、日本の伝統文化をモチーフにした、ファンタジー映画と考えることもできますね。
実は、私にとって1つだけ悔しいことがあります。
ハリウッドに時代劇を撮られて、しかも注目を集めて、本家本元の日本映画界は悔しくないのでしょうか?
これでアカデミー賞なんか取った日には、非常に恥ずかしいと思うべきでしょう。
映画は歴史の教科書ではありません。
ですが「時代考証云々」と言った些末な映画評論に晒されることは間違いありません。
私はそんなことを言う人に、逆に問いただしたい。
あれ以上に細部まで美しい時代劇を創造できるのですか? と。
そんなの負け犬の遠吠えに過ぎませんよ。
同じ事は、間もなく日本のゲーム界にも訪れるでしょう。
そう、ハリウッドではなく韓国・台湾・中国のアジア御三家です。
今の日本ゲーム界は、ファミコンが生み出した20年のアドバンテージにしがみついているに過ぎません。
果たして、日本のゲーム界は、素材を見事に調理し、昇華させれるクリエイターを生み出すことができるのでしょうか。
業界に関わってきた1人として、この思いは決して忘れないようにしたいです。
Posted by ナカノヒト : 2005年12月10日 18:49 | コメント (0)