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「心にうつりゆくよしなしごと」について


「心にうつりゆくよしなしごと」について

<710>Technology-技術情報 1956年から半世紀、そして今後の半世紀へ

年が変わり、2006年になりました。
みなさん、明けましておめでとうございます。
今年第一号のネタは、昨年秋からずっと暖めてきたこのテキストで行きたいと思います。


今年は日本初の国産コンピュータが誕生してから、ちょうど50年。
もし、この国産コンピュータと、先人達がいなければ、日本は電子技術立国にはなりえなかったでしょうし、当然我々の手元にコンピュータも無かったかも知れないのです。
そういう意味では、日本国内の電子技術史にとって重要な年であると同時に、このサイトを見ているみなさんにとっても、密接なつながりのある節目の年なのです。

元々日本人は、コンピュータ史の節目で重要な役割を果たしてきました。
まず、コンピュータの基礎理論とも言うべきデジタル計算の合理性を提唱した、塩川博士。
彼は第二次世界大戦が始まる前年の1938年、二進法による計算の合理性を説き「演算部を二進法に単純化した計算機(=Computer)」の提唱をしたのです。
この理論があってこそ、コンピュータは高速に計算ができるのです。

現在のWindowsに必須なIntel社の第三世代CPUを開発したのも、実は日本人なのです。
コンピュータは、真空管を使用した第一世代コンピュータ、トランジスタを使用した第二世代コンピュータ、そして現在のLSI(大型集積回路)をCPUに使用した第三世代コンピュータに大きく分けられます。

この第三世代コンピュータの隆盛の礎を作ったのが、嶋正利さん。
嶋さんはIntel在籍中に8080と言う8ビットCPUを開発。
その後、嶋さんはザイログ社に移り、Z80というCPUを開発し、8080と互換性を取りながら高性能を目指したため、Z80は8080のシェアをあっと言う間に奪ってしまいました。
ですがIntelは、8080をベースにした16ビットCPUで巻き返し、今のPentium、Celeron、Xeonなどに繋げていったのです。

そんな日本人が初めて作った国産コンピュータ。
それが、1956年に完成した『FUJIC』と言う真空管電子計算機です。
これは富士写真フィルム株式会社のレンズ設計用として、岡崎文次さんらによって開発されました。
岡崎さんは1949年から研究を開始。1952年3月からメモリ関係の研究と並行して全体の組立てを始め、1956年3月完成しました。
この我が国最初の電子計算機は、真空管を約1700本使用した2進法3アドレス方式の電子計算機で、記憶装置(メモリ)には超音波水銀遅延線が採用されました。
(超音波水銀遅延線とは、水銀の中に放たれた超音波の振動で記憶を保持するというものです)

このFUJICはレンズ設計で人力計算の1000倍の早さを目標としていましたが、最終的には約2000倍という脅威の性能を誇りました。
約2年半に渡り小田原工場で使用されてから早稲田大学に寄贈され、現在は国立科学博物館に保存されています。
GHQの情報統制で海外の情報が全く入らない時代。
新聞記事を頼りに、アメリカに遅れること10年で、ゼロから完全に独力で完成させた当時の技術者達に、心から敬意を表したいと思います。

他にも、数え切れないほどの日本人技術者が、コンピュータ史に関わっています。
「日本人がコンピュータを作った」なんて本があるくらい、一時は日本が世界のトップを走っていたのです。

初の国産コンピュータが生まれて半世紀……これからの半世紀は、どんな歴史が待っているのでしょうか。
CPUに超伝導を利用した第四世代コンピュータの開発でも、実は日本が一歩先に進んでいます。
また、二進法ではなく八進法を演算に使うことで、従来より高速に演算ができるという研究も出てきています。
次の50年こそ、日本が真の電子立国になっていることを祈らずにはいられません。

◆社団法人 情報処理学会 - コンピュータ博物館

Posted by ナカノヒト : 2006年01月01日 13:36 | コメント (0)

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