懐かしの競馬話
以前より、Ragnarok関連の某方のmixiやブログをチマチマ見ておりました。
その方はサーバ内ではちょっとした有名人なのですが、僕が惹かれていたのはRagnarokネタではなく、競馬ネタ!
自己紹介欄に、「好きな馬はサイレンススズカ、ツインターボ、クロフネ」という名を挙げている辺り、どう見ても個性的な脚質の馬が好きというオーラを放っています。
ちょっと懐かしくなったので、記憶の限り過去好きだった馬、気になった馬について徒然と書いてみます。
◆帝王の威厳~トウカイテイオー
僕が初めて馬券を買ったのが、「帝王」ことトウカイテイオーのラストラン(93年の有馬記念)でした。
この時のトウカイテイオーは、故障により92年の有馬記念から1年間の休養をし、復活初戦がグランプリ、しかも引退レースというトンでもない状況だったのです。
当時僕は浪人生でした。
予備校内に親戚が馬産をしていることが知れ渡っていたので、講義中にも関わらず「テイオー勝つと思う?」といったメモが回ってくる始末。
最初は「どうだべなぁー」と曖昧な返事を返していましたが、何度も訊いてくるので気になってしまい、講義を抜け出してウインズへ直行することにしました。
パドックを見る限りは「勝てる!」と判断しましたが、1年間のブランクが割引感を呼んで4番人気。
1番人気は岡部のビワハヤヒデで、自分の好きなマチカネタンホイザは13番人気。
人気確認後、パドックで最終判断をしてから、トウカイテイオーを軸にビワハヤヒデ、マチカネタンホイザ、ウイニングチケットに流して購入しました。
この頃はまだ「流し」「ボックス」という買い方は無く、当然三連単や三連複、馬単すらありませんでした。
だからセコセコとマークシートを書きまくってましたね。
結果は直線でやや追い込まれたものの、半馬身差で1着。
2着はビワハヤヒデが順当に飛び込んできました(ちなみにマチカネタンホイザは4着)。
この「半馬身差」は帝王が故の「威厳の差」なのでは?と思った記憶があります。
90年代の馬たちは、かなり記憶に残っています。
Yahooの競馬レース記録を見ていると「この馬いたいた!」と懐かしさを感じずにはいられません。
同時に、自分がその頃何をしていたかも同時に思い出すのです。
過去のレースを振り返ることで、自分の人生も鮮やかに思い出される……競馬の楽しみの1つでしょうね。
◆鼻血、そして蕁麻疹~マチカネタンホイザ
案外知られていない、というか、多分初告白なのですが、僕はワグネリアン(ワグナーのファン)です。
そして、一番好きなオペラが「タンホイザー」なのです。
たったそれだけの理由でこの馬を注目し始めたのでした。
ところがフタを開けてみると、タンホイザー行進曲のような威厳はどこへやら!
GII や GIII で見事な勝利を飾っても、肝心の GI で勝てないのです。
血統はノーザンテースト産駆という超良血。性格の穏和さが災いしてか、勝てないのです。
94年当時の日刊スポーツに「GII ・ GIII の帝王」と書かれていましたが、まさにその通りと言えるでしょう。
この頃の僕は大学に入り、家庭教師や広告代理店でのアルバイトに勤しみつつ、仲間と夜な夜な麻雀を打っていました。
大学の講義は出なくても試験だけで単位を頂けたので(というくらい簡単だった)、仕事と遊びに全力投球していた時期です。
そんな94年秋、マチカネタンホイザは国際 GI レースのジャパンカップに出走登録をします。
94年秋の古馬 GI 戦線は、荒れ模様でした。
秋の天皇賞で、レース中の故障によりビワハヤヒデとウイニングチケットが敗北。
古馬 GI 戦線は主役馬が不在のまま、ジャパンカップを迎えました。
新聞の予想はどれも外国馬中心で、人気ですら1~5番を外国馬が独占する始末。
日本馬はというと、前走の京都大賞典を勝ったマーベラスクラウンと、天皇賞3着のロイスアンドロイスに△とか×がつく程度でした。
ところが、見る人は見ていたのです。
東京・中京コースが大得意で、前走天皇賞で4着に飛び込んだマチカネタンホイザがいたのです。
7勝中4勝が東京で、2勝が中京という輝かしいデータ。
そして右回りだとまっすぐ走れないくらい、左回りが大得意!
ですが、マチカネタンホイザは成績以外にも歪んだところがあったのです。
騎手は昔は岡部が乗り、この頃は柴田善臣が乗っていました。
そして東京コースが大好き……
なのに、厩舎は伊藤雄二……
関西馬なのに、いつも関東で走っていたのです。関東馬だと誤解していた方もいるでしょうね。
そんな「斜め上」なマチカネタンホイザ。
パドックでは気合乗りも十分、馬体もピカピカで目一杯仕上がっています。
しかも秋3走目で、一番良い状態。
得意の東京コースで、いつも後塵を拝してきた主役馬もいない。
そう、GI 初制覇のチャンスだったのです!
ところが、ここで事件が起きます。
マチカネタンホイザの動きがおかしくなったのです。
変な歩き方になり、ついには止まってしまいました。
厩務員さんが必死でなだめる様子がテレビに映し出されますが、何が起こっているかはわかりません。
故障か?と不安がよぎったその時、アナウンスが流れます。
「マチカネタンホイザ号は、鼻出血のため発走除外になります」
レース中に鼻血を出すほど激走し、精魂尽き果てたツインターボとは違い、発走前に鼻血!
その時の心境をAAにすると (;´д`) といった感じでしたよ。
このときが GI 制覇の最初で最後のチャンスだったのにぃ……
ところが、これだけでは終わらなかったのです。
この後、マチカネタンホイザは関係者の必死の努力により有馬記念に出走登録をします。
幸い鼻血の影響も少なく、元気に調教を繰り返して復活の兆しを見せたのです。
しかも、厩舎側のコメントも強気でした。
「鼻出血の影響もなく、良いレースができるよ」
ですが、鼻出血と中山コースということで、前評判は上がらず。
ここで勝てば「鼻出血明けで有馬制覇!」と英雄になるところですが、またも強豪が立ちはだかります。
それは、三冠馬ナリタブライアンと、最強牝馬ヒシアマゾン。
ジャパンカップを勝ったマーベラスクラウンがいないため、古馬の主役級は今レースも不在。
そのためナリタブライアンに印が集まっていました。
ヒシアマゾンにも濃い印が集まる中、マチカネタンホイザは……全くの無印!
一発大逆転を狙って中山入りするマチカネタンホイザでしたが、またも事件が降りかかります。
有馬記念当日の新聞を見ると……
「マチカネタンホイザ 蕁麻疹で出走取り消し」
鼻血の次は蕁麻疹かよ!
推薦馬しか出られないジャパンカップ、しかも勝てたかも知れないチャンスを鼻血で逃し……
人気投票か推薦馬しか出られない有馬記念を蕁麻疹で逃し……
出たくても出られない馬が数多くいるこのレースで、連続の発走除外。
ファンながら、さすがに心配より苦笑が先行してしまいました。
◆その他
ツインターボも好きでした。
普通の逃げ馬はリードを取ってから脚を貯めますが、ツインターボは常時必死!
彼については私が書くよりもっと良質なコラムがあるので、そちらをご紹介して代えさせて頂きます。
◆MSNスポーツコラム 狂気の逃亡者・ツインターボ物語 1
◆MSNスポーツコラム 狂気の逃亡者・ツインターボ物語 2
セイウンスカイの逃げっぷりも鮮やかでしたが、私的に決して忘れられないのがエガオヲミセテ。
オークスで初めて生で見て、そのまま惚れ続けました。
サンデーサイレンス産駆なのに、実に穏和な良い子なんですね。
何があっても単勝を買い続け、当たっても払い戻しすらしなかった「記念馬券」は、今でも自宅の「競馬専用箱」に眠っています。
99年のエリザベス女王杯では、京都まで行って生観戦しました。
この時こそ、彼女(エガオヲミセテ)にとって最初で最後の GI 制覇のチャンスだったと思います。
そして、彼女を生で見たのは、これが最後となってしまいました。
レース終盤、最後の直線で内柵の切れ目から強襲がかかった瞬間は、アドレナリンが分泌されまくって何が何だか覚えていません。
ただ実況の「内からエガオヲミセテ!内からエガオヲミセテ!エガオヲミセテ!」という三連呼だけは今でも耳朶に残っています。
結果は審議の結果3着。しかも審議の結果待ちで飛行機に乗り遅れるというオチがつきましたが。
「彼女を生で見たのは、これが最後」というのは、理由があります。
競馬ファンならご存じでしょうが、2000年2月12日、山元トレセンの火災で非業の死を遂げたのです。
これがどうしてもやりきれなくて、以後徐々に競馬から遠ざかっていくことになりました。
また思い出したらチマチマ綴ろうと思います。
Posted by ナカノヒト : 2006年06月19日 14:30 | コメント (0)