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「心にうつりゆくよしなしごと」について


「心にうつりゆくよしなしごと」について

<140>Cross cultural-比較文化 Impressionato!

日頃から『本物を見ろ、触れろ、そして聴け』という主義の自分にとって、ショックなニュース。

世界三大テノールとして有名なイタリア人テノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)が、6日に癌で亡くなった。
一度で良いので、ナマで『ハイC』を聴きたかったものである。

にしても、欧米人の追悼コメントは本当に凄い。
入院中のパヴァロッティを見舞っていたソプラノ歌手、ミレッラ・フレーニ(Mirella Freni)が、こんな追悼の言葉を述べていた。

「世界は偉大なテナー、偉大な歌手を失った。そして私は偉大な友人を失った」

ここまで自然、かつ端的に哀悼の意と自身の衝撃を述べられるほど、修辞法(Rhetoric)を身に付けていることは、全く別種の文法構造である日本語を扱う者として、驚きを隠せない。


と同時に、このコメントを見て、2~3年に一度の周期で浮上する日本の英語教育問題が頭を過ぎった。
そのとき必ずと言って良いほど毎回脚光を浴びるのが、英語教育の必要性を異常に強調し、しまいには第一国語に制定すべきとまで言う過激派である。

確かに英語が使えるに越したことはない。
上層部との会議や打ち合わせがほとんど英語という外資の会社に勤務していることもあり、その必要性は日々痛感している。

だが私は、言語とは『特定文化圏における意思疎通の道具』であると思っている。
そこから考えるに、ここが日本という文化圏である以上、英語を学ぶ以前に日本語でまともな意思疎通ができる『日本語』を身につけることが先決ではなかろうか?
小学生から英語教育も結構だが、同時に日本語教育についても強化すべきである。

私の経験上、複数言語を使いこなす日本人は、意思疎通能力に長けていることが多い。
もちろん、バイリンガルでも最後まで他人の話を聞かずに判断するという点で、意思疎通力-むしろ理解力?-が足りない人もいる。
だが、日本語の基本ができていることが多いため、多少文法が壊れていても通じてしまうのだ。

もう1つ思うのが、言語は使ってでしか身につけることができない、という点。
覚えるだけなら現行の受験勉強だけで良いだろうが、本当に身につけるならば1週間に4~5時間の授業より、1年間で1週間の集中英語漬けの方が有効な気がしてならない。
意思疎通の道具なのだから、ネイティブ相手に聞いて、書いて、喋って、の3つを実施しなければならないはずである。
残念ながら受験英語は聞いて、書いて、覚えて、と、方向性が歪んでいる気がしてならない。

私もこの歳になって、初めて自発的、かつ本格的に外国語(イタリア語)を身につけようとしている。
毎日電車内でイタリア語を聞き、できるだけ頭の中で置き換えるという行為だけで、その気になれば案外身に付くもんだなぁ、と思う。

問題は、オーストラリア人の総支配人に対し Si!と返してしまう点だけ。
英語も追って身につけなければならないだろう……な。

◆Wikipedia - ルチアーノ・パバロッティ
◆パバロッティ公式サイト
◆You Tube - Luciano Pavarotti Nessun Dorma (turandot) Torino 2006
 パバロッティ人生最後のステージは、トリノ五輪開会式でのトゥーランドット『誰も寝てはならぬ』。
 開会式終盤、あの美声で一気に目が覚め、感動したことは、今でも忘れられない。

Posted by ナカノヒト : 2007年09月07日 22:59 | コメント (0)

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