To kill one's boredom...RO

「心にうつりゆくよしなしごと」について


「心にうつりゆくよしなしごと」について

<260>SPQR-古代ローマ Nihil sub sole novum.

一昨年の11月より読み始めた塩野七海先生の『ローマ人の物語』全15巻を、ようやく読み終えました。
この15巻を読むに当たり、自分に課していたルールは3つ。

1.マイペースに、通勤電車内と就寝時に読むこと
2.1~2か月に1巻ずつ読了していくこと
3.1冊を読了してから次巻を購入すること

これは、正面から向き合って、じっくりと噛み締めながら読みたいと思ったからこそ、決めたルールです。

ガキの頃から濫読人生だったにも関わらず、1つの作品に対し、長い時間をかけて噛み締めながら読んだことはありませんでした。
それだけに自分の読書人生において、非常に濃密な17か月でした。

また、学生時代は苦手な世界史の中でも特に理解できない時代だっただけに、通史として学んだ際の理解度の深さに驚嘆しました。
これは、日本の歴史教育に関するカリキュラム構成が、自国史・世界史ともに飛び石すぎることも一因としてあるのではないでしょうか。


時代の『評価』は、後世にならなければわかりません。
我々が生きている今という時代、21世紀は、パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)と言われています。
ですが、パクス・アメリカーナは、『真の自由』『真の平和』と言えるのでしょうか。

アウグストゥスが帝政を確立した紀元前27年から、五賢帝の統治が終わる180年までの約200年間は、世界史でもパクス・ロマーナ(ローマによる平和)と呼ばれています。
中でも五賢帝時代は、歴史家ギボンが言うように、『人類が最も幸福であった時代』であったのです。
私は、このパクス・ロマーナが実現できたのは、2つの柱があったからこそだと思っています。


◆ハード面~インフラストラクチャー

私が大好きな『インフラストラクチャー』の祖は、まさにこのローマ人。
語源も、ラテン語で基盤を意味する『インフラ(infra)』と、構造を意味する『ストゥルクトゥーラ(structura)』を現代になって合成したにすぎません。
イタリア語でもinfrasturuttura(インフラストゥルットゥーラ)と言うくらいですから。

この『インフラストゥルクトゥーラ』という言葉、実に見事だと思います。
だって、人間が健全な社会生活を営むための、社会の構造基盤なのですから。
衛生面での上下水道や公衆浴場、病院、街道、会堂(バジリカ)、神殿、円形闘技場(コロッセオ)、小麦の配給制度……枚挙に尽きません。
しかも作るだけではなく、メンテナンスの重要性も知っていました。

また、ローマ人は、版図に組み入れた蛮族の地ですら、自分たちの資財・資材・技術力を惜しみなく投入し、首都ローマの縮小版とも言うべき構造基盤の整備を行いました。
蛮族は、便利かつ豊かになっていく生活を享受・体感することで、ハードだけではなく精神面でもローマ化していくのです。
これらハードを安定して整備するための『究極の基盤』がパクス(平和/pax)であるということを、身を以て知っていたからできたのでしょう。

ですが、最後は自らの手で、ローマにおけるインフラストラクチャーの象徴である水道橋を破壊し、水道管に石で栓をすることになるのです。
やむを得ないこととは言え、ローマ人のスピリットが後世失われたことの象徴的事件だと思います。

余談ですが、ローマの上下水道は2000年以上経った今でさえ、現役で活躍中!
上水道はトレビの泉に、下水道は縦横無尽にローマ市内の地下を走っています。
ローマ人の技術力に脱帽です!


◆ソフト面~真に自由な精神

パクス・ロマーナが終わるまで、ローマ人は、実に伸びやかでかつ、人間らしい精神を持っていました。
中でも特徴的なのは、次の3つでしょう。

自らの価値観を押しつけず、異文化・異宗教を許容し、敗者までもを運命共同体として同化する『寛容(clementia)』。
日本の武士道にも通じる、神々と人との間のみならず、人々の間に存在する『信義(fides)』。
豊かな層が社会に、進んで国家社会(res publica)へと還元する『公共心』。


これらの精神は、キリスト教の侵食と共に、全て崩れ去りました。
異文化・異宗教は排除・教科し、信義は唯一神へと向けられ、公共心ですら教会を中心に回り始めるのです。

英語で言うリベラル・アーツ(liberal arts)とは、大学で言う一般教養を指します。
これもローマ時代のラテン語で、技術を意味する『アルテス(artes)』と、自由を意味する『リベラーレス(liberales)』が語源となっています。
つまり、『人間が人間らしく、伸びやかで自由に生き、考えるための技術』という意味なのです。

古代ギリシア・ローマ時代の彫刻や絵画と、中世キリスト教社会の彫刻や絵画を比べてみると一目瞭然でしょう。多神教で、真の自由を謳歌していたギリシア・ローマ時代の彫刻は、実に写実的で人間的な美にあふれています。

ところが、キリスト教により偶像崇拝が禁じられ、寛容・信義・公共心が無くなってからというもの、人間的な写実性は、古典古代の文化を復興しようとする『ルネッサンス』まで待つしかないのです。
人間の歴史は、必ずしも良い面だけではありませんでしたし、かと言って悪い面ばかりでもありませんでした。
とは言え、一神教の弊害により『暗黒の時代』とまで言われる中世は、真の自由からは、大幅にかけ離れた時代だったと言えるのではないでしょうか。


再び、考えてみましょう。
パクス・アメリカーナは、『真の自由』『真の平和』と言えるのでしょうか。

人の歴史は繰り返されます。
塩野先生は『諸行無常』という言葉を使われていましたが、私はこのエントリーの表題の通り『何ものも太陽の下に新しいものはない』の方がふさわしい気がします。
『無常』であることはわかっていても、人間は前に向かって歩くしかないのです。
太陽の下、大なり小なり歴史が繰り返されると知っていても、前に向かって歩くしかないのですから。

『永遠の都(Urbs aeterna)』ローマは、現代を生きる私達に何を語りかけるのか。
次回ローマへ行った際は、アッピア街道や水道橋に直に触れてきたいという思いを強く抱きました。
私にとっての『ローマ人の物語』は、まだ始まったばかりです。

読了後の私の心情は、偉大なるローマ人への敬意を込めて、4世紀にペルシアの貴人がコンスタンティウス大帝に答えた次の言葉に代えたいと思います。

(中略、コンスタンティウス大帝が) オルミスダに質問したのである。
これまで観てきたローマに、あなたならばどういう感想を持ったか、と。これにペルシアの貴人は次のように答えた。

「これほどのものを創り出した人々でさえも、やはり最後は死んだと思ったら、ようやく心の平静をとりもどすことができました」

[ ローマ人の物語 14巻 キリスト教の勝利 ]

Posted by ナカノヒト : 2008年03月18日 20:58 | コメント (0)

この記事へコメントする

(コメントを投稿すると、サイト管理者へ承認を行います。投稿したコメントが表示されるためには、サイト管理者の承認が必要です。承認には少々お時間がかかりますので、しばらくお待ちください。)