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「心にうつりゆくよしなしごと」について


「心にうつりゆくよしなしごと」について

<120>Society-社会 <140>Cross cultural-比較文化 ナカノヒトからGoogleの中の人へ

私はGoogle信者です。

だって、好奇心が歩いているような私にとっては、Googleの使命である「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」の恩恵を最も受けることになるから。

だって、私が理想とする機能美~簡単、便利、シンプル、そして無料~を全て兼ね備えているから。

いつもワクワクさせてくれるGoogleは、私の仕事とプライベートに最高の効率と生産性をもたらし、増大していく好奇心を充足させてくれる貴重な『相方』です。
それくらいGoogleが大好きだし、Googleが無かったら生活に支障を来してしまいます。


ブラウザのスタートページは、言うまでも無くGoogleです。
Googleツールバーは、最初に英語版が公開されるや即日インストールしました。
外国人からのメールでわからない単語があれば、Googleで英単語の検索。
携帯だってSoftbankだけど、Yahooじゃなくて、Googleモバイルから全て検索しています。
そうそう、このエントリーの投稿にも、先日公開されたばかりの新ブラウザGoogle Chromeを使ってるし。
仕事のデータはGoogleドキュメントで持ち運び時のリスクを回避していますし、スケジュール管理はGoogleカレンダー。
帰宅してからはGoogle Earthで世界旅行をし、Google Mailをチェックしてから布団に入ります。
あと、最近導入したんですが、画像管理はPicasaを使ってます。

だけど、Googleストリートビューは、日本ではやっちゃいけなかったと思うんです。

なぜ日本ではストリートビューをやってはいけなかったか。
Google信者の『ナカノヒト』が、Googleの『中の人』へ、説明を試みてみます。


欧米の方には理解できないでしょうが、日本って、家の前の生活道路も、実は生活空間の一部なのです。
(外資で働いてるヤツのセリフじゃねぇ、と笑わないでくださいね)

欧米では、自宅の公私を分けるラインは、公道と私有地の境界線にあります。
これは、ローマ帝国の時代から、明文化された法律で個人の私有権利を保証するという文化が根底にあるからだと思います。
職場でチラッと聞いたのですが、自宅に下手に高い柵を巡らせようものなら、逆に周囲から大顰蹙を買ってしまうほどだそうです。

対する日本ではどうでしょうか。
京都を歩くと強く感じるのですが、自宅の前の公道に打ち水をしたり、掃き清めたりするのが、居住者の勤めになっています。
これは、町内会という独特の共同体意識の現れであると同時に、自宅の庭と同じ感覚であるが故の行為なのだと思います。

だからこそ、鉢植えが路地(公道)に半分はみ出ているのが自然な風景であり、軒先で半裸のオッサンが涼んでいても、会釈してスルーするのが、自然なマナーなのです。

そんな路地を歩くとき、私たち日本人は周りの家を覗き込むようなことはしません。
これは日本人が持ち合わせている「そういうところを覗き込むのは失礼だから」という感覚が、自然に働いているからだと言えるでしょう。
覗き込もうと思えばすぐに見えてしまいますが、古事記などの上代文学の時代から、「垣間見」という行為はタブーとされているのが日本文化。だからこそ、私たちは露骨に覗き込むということを、無意識のうちに避けているのです。

つまり、1000年以上の大昔から、「公道の風景だから公開しちゃっても大丈夫」ではなく、「公道に沿っている居住者の生活空間を垣間見てはいけない」というのが、日本人のモラルであり、文化的感覚なのです。
また、Googleの中の人の言葉を借りると、「慎重に扱うべき画像」であるのです。

もし、あなたの家の前の路地で、数メートルごとにデジカメで360度の写真を撮りまくっている人がいたらどうしますか。警察に通報するという人が、ほとんどではないでしょうか?
全く同じ事態が、今、知らないうちに起こっているのです。

非常に悪意的な言い方をすると、空き巣のやりやすそうな家を探したり、転売価値の高そうな車が駐車している家を探したりという、犯罪のための下見が簡単にできるようになってしまったと言うことでもあるのです。

今のところ、マス「ゴ」ミはこのことについて騒いでいません。
だけど万一、ストリートビューが犯罪に使われ、犯罪者の供述で「ストリートビューを使いました」なんて言葉が出てきたとき……私の愛すべきGoogleが蹂躙されるのは、耐えかねる事態です。
きっと溜息して夜も寝られないでしょう。もちろんそんなことは望みません。

だからこそ、Googleには日本的な「文化感覚」を大切にして欲しいのです。
私はGoogleの「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」という使命を非常に素晴らしいと思っています。
同時に、その恩恵を最大限堪能していますし、Googleが無かったら公私共に非常に困ります。

ですが、文化的に公開を前提としていない生活空間を勝手に公開するのは、やっぱり、やっちゃいけないと思うんです。
きっと日本人の文化感覚は、何100年経とうが変わらないでしょう。
そんな文化感覚をアメリカ的感覚で蹂躙するのは勘弁して欲しいのです。

その結果、Googleが少しだけ不便になっても構いません。
愛するGoogleだからこそ、「空気を読んで欲しい」と切に願います。

Posted by ナカノヒト : 2008年09月05日 23:05 | コメント (0)

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